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 新田神社  2018/12/07 (Fri)
金山城跡の頂上部(本丸跡)には新田義貞を祀った新田神社があった。
標高は239m、頂上部には山頂を示す砲弾型の記念碑もある。
それに樹齢800年の大欅も。曇り空で撮影には不向き、携帯の電波状態も悪かった。

新田神社
新田神社-1



新田神社-2



新田神社-3



新田神社-4



新田神社-5


金山山頂 239m 
新田神社-6


大欅 樹齢800年、樹高17m、幹回り6.8m、枝張りは40mある
新田神社-7
御朱印  
無人の神社なので御朱印は諦めていたが、印刷された御朱印が置いてあった。
支払いは、ビニールの小袋に300円を入れ、賽銭箱に投げ入れる形式。これには感動、ビックリぽんでした。

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日本の100名城のガイドブックを開いて、群馬県を探したら「箕輪城」と「金山城」が載っていた。
折角群馬に行くのだから寄ることにした。とはいっても、二つはちょっと離れている。箕輪城跡は高崎市、金山城跡は太田市。
箕輪城跡は水澤観世音と富岡製糸場の間にあるので、寄り道程度で済んだが、金山城跡は気合を入れて・・・

箕輪城跡  1500年頃、長野氏によって築かれた城
箕輪城跡-1


唯一復元されていた「郭馬出西虎口」
箕輪城跡-2


山城なので空堀が多い  どの堀も見事だが、特に大堀切は迫力ある
箕輪城跡-3


金山城跡  「大手虎口」 石垣が見事に残っている。新田一族の岩松家純が1469年築城の山城。天守閣のない時代の城
金山城跡-1


城の全体像が分かる立体模型  戦国時代の関東の山城で石垣を持つのはここだけのようだ
金山城跡-2



金山城跡-4


聖なる池「日ノ池」  山城にとっては生命線になる水の確保もばっちり  こうした池は他にも「月の池」がある ※池の奥に休憩所
金山城跡-5


金山城跡ガイダンス施設  城址の下にある城のガイダンス施設  隈研吾設計
ガイダンス施設
100名城のスタンプ集めは結構大変だ。天守閣が残っていたり、案内所に係員が常駐しているところは城に行けばいいのだが、そうでないところは様々なところに置いてある。行く前にその場所と受付時間をしっかり調べて行かないと大変なことになる。
箕輪城跡は箕輪町の旧役場内に、金山城跡は日ノ池近くの休憩所にある。ところがその休憩所に鍵が掛かっていて中に入れない。ガイダンス施設に電話をして来てもらうことにしたが、山城なので携帯の電波が不安定で思うような通話ができなかった。
 富岡製糸場の時  2018/12/05 (Wed)
富岡製糸場は明治5年に建てられた。その造りは今見ても魅力的。
特に木材のグレーの色は何度も塗り重ねた時の重なりを感じる。

グレーに塗られた建物
富岡製糸場 建物-1


グレーは派手さは無いが落ち着く
富岡製糸場 建物-2


剥げかかった塗料がいい
富岡製糸場 建物-3


見せたくない部分かもしれないが、撮り手としてはそそられる
富岡製糸場 建物-4


病院棟のガラス戸
富岡製糸場 建物-5


今はカフェとして使われている建物  当時のガラスが残っている
富岡製糸場 建物-6


ブリュナ館(首長館)  生糸の生産を指導したフランス人の住まい
富岡製糸場 建物-7
外観、内部、そして外壁を紹介したが、観光と撮影を同時に進めるのは辛い時もある。ゆっくり見たい気持ちと、格好よく撮りたいと思う気持ちがぶつかり合う。特に製糸場のようなところは資料を読み込まないと見ても分からないから、時間を必要とする。
というような言い訳を考えながら撮っていた。
富岡製糸場の内部には製糸機械が今も綺麗に保存されている。
ここで働いた数千人(数万人)の女性たちの姿が見えてくるようだ。
そして、修復工事も続いている。その規模は公開されている建物と同じくらい。来年まで西置繭所の工事現場が公開されていた。

製糸所内部  長さ140mの工場内には製糸機が並ぶ  明治5年建造とは思えない立派な造り
富岡製糸場 内部-1


ここで働く女工さんたちは、製糸工のエリートとして各地に戻って指導者となった
富岡製糸場 内部-2


自動繰糸機
富岡製糸場 内部-3


東置繭所2階  乾燥させた繭の貯蔵場
富岡製糸場 内部-4


喫煙厳禁の看板   今の「禁煙」の看板より威厳を感じる?  
富岡製糸場 内部-5


保存修理工事  乾燥場
富岡製糸場 工事現場-1


西置繭所  内部の見学ができる ヘルメット着用(300円)
富岡製糸場 工事現場-2


乾燥場
富岡製糸場 工事現場-3
此処にきて思い出した。我が家も蚕を飼っていた頃のことを。開田が進んでいなかった当時、どこの家でも蚕を飼って繭を出荷していた。家の中には蚕棚があり、桑の木(葉)が山積みにされ、私も餌係として桑を敷いた。本格的にやっていた農家は人の生活空間より蚕棚の方が広く、桑の葉の匂いに包まれていた。桑畑が開墾され水田になって米作りにシフトしていった。
世界遺産に指定される前から教科書で習っていた富岡製糸場には来たかったのだが、何時でも来れると思っているうちに、いつの間にかその存在が頭の中から消えていた。
世界遺産に指定されると爆発的な人気観光地になってしまい、逆に来れなくなってしまった。
最近、入場者が大きく減っていると報道されたので、ゆっくり見られると思い寄ることにした。

明治政府が輸出品の生糸の生産拠点にしただけに凄い施設だ。明治5年にこれだけの建物と施設を作った明治政府の力の入れ様が伝わってきた。
生糸の輸出が無ければ日清、日露戦争の勝利はもとより、今の日本の姿は無かったかもしれない。

富岡製糸場  東置繭所「国宝」  長さ104m
富岡製糸場-1


入場者数は世界遺産に登録された2014年の130万人から2017年には63万人に減っている (登録される前年は30万人」
富岡製糸場-2


東置繭所
富岡製糸場-3



富岡製糸場-4


製糸所「国宝」  長さ140m
富岡製糸場-5


女子寮 「重要文化財」
富岡製糸場-6


敷地の下の鏑川
富岡製糸場-7


観光地化  前の道路には新しいお店が並ぶ
富岡製糸場-8
次は内部を
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